―僕が拾った小さなもの―
…その子は謝りながら消えて逝った。
…僕らは何も出来ずに、ただ見送るしか出来なかった。
…いや…その子が望んだ事の手助けは出来た。
…でもそれだけだった。
しのぶさんは、泣いている。
諸星は、手持ち無沙汰のように何をするでもなく、ただ足元の石を蹴っている。
ジャリテンは、大泣きしている。
ラムさんは、泣くしか出来ない子供をあやしている。
砂を噛むような想いしか…できない。
あたる「…もう俺達に出来る事は、なくなったな…帰るか…」
諸星の言葉で、僕達は帰ることにした。
諸星の言うとおり、もうここにいても致し方ない。
夕焼けが僕らの影を長くする。
そして、あっという間に闇があたりを包み込み、僕らの影を飲み込んだ。
あたる「…じゃあな」
終太郎「…あぁ、また明日」
しのぶ「…えぇ、それじゃあ、また明日ね」
ラム「…さぁテンちゃん、もう帰るっちゃよ…」
言葉少なく、その場で二手に分かれる。諸星たちは右へ、僕は左へ…
しばらく面堂家へ向かって歩く。
授業中に外へ出た為、カバンは学校へ置きっぱなしだったが、
特に問題は無い。
家に帰ったら黒メガネにでも命令してカバンを取りに行かせよう。
…しかし…気分が重い…気が滅入る…
車と違って歩いていると、考える時間が長くなる。
周りを見渡す時間が長くなる。
ゆっくりと時間が過ぎていく。
夕闇の中、かすかに花の香りが風とともに、まとわりついて離れていく。
住宅街の家の玄関。明かりがついて誰かの帰りを待っている。
今日よりも昨日。
昨日よりもずっと前。
あの子はすでに、いなくなっていたというのに…。
あの逝ってしまった少女…本当はもうこの世のものではなく、
先ほどまで、この世界にいたのは、かりそめの想いだけ。
僕らは十分に、あの子の願いをかなえる為に努力した。
だからもう気に病むことは無いはずなのに…
僕はうすうす、どうして気が滅入るのか、わかってはいた。
無視しようとは思っていた。
でも、思い出す。あの時の事。
ため息をついたとき、車のヘッドライトが近づき、静かに僕の横に止まった。
白いキューベルワーゲンの窓が開いて、護衛兼運転手の黒メガネが顔を出す。
黒メガネA「…若、どうされました?
歩いていないで、どうぞお乗りください。」
終太郎「…今は歩いて帰りたい気分なんだ。いいからお前は先に帰れ。」
黒メガネA「…しかし…」
終太郎「心配しなくてもいい。大丈夫だから。車で帰る気分じゃないんだ。」
…僕はいまどんな顔をしているんだろう?
見られたくない…知りたくもない…。
黒メガネA「面堂邸まで何キロもありますよ」
終太郎「わかっている。今は一人にしてくれ。」
黒メガネは不思議そうな顔をしながらも、
僕の命令で車を運転して立ち去った。
走り去る車を見送り、また歩き出す。
この気が滅入る感覚。
忘れられない。
僕は覚えている。
普段は忘れているのに、ふとした事で思い出す。
そのきっかけは花の香りだったり、この夕闇せまる逢魔が時だったり…
終太郎(…我ながら、後ろ向きな考え方だ…なさけない…)
あの子は満足して心を残さずに逝ったはずだ…
そのために努力したのだから。
この世に残った自分が気に病む必要はない。
わかっているのに…頭ではわかっているのに…心が追いついていかない。
あの人の事を重ねて思い出すから。
終太郎「…気が滅入る…」
そんな時だった。
その小さなかすかな声を聞いたのは。
場所は広い原っぱ。
通り道近くにまで草が伸びきって、風に揺れている。
風に揺られるたびに、ざわざわと音が鳴る。
終太郎「なんだ?」
普段なら気づきもしない。
見もしない風景。
しばらくそのまま動かずに、耳をすませた。
辺りを見回した。しかしそれ以後、何の音も聞こえない。
終太郎「…なんだったんだろう?」
その場を立ち去ろうとした時、また声が聞こえた。
小さな声。
あまり聞いた事のない声だったので、
好奇心に負けて、道からそれて原っぱの中に入り込む。
辺りを見回すと道から見えないところに、ダンボールが置かれているのが見えた。
声はその中からする。
終太郎(…もしかしてこれは…?)
そっと中を開けると想像どおりのものが入っていた。
小さな子猫が数匹。
悲しくなる。
同時に怒りが込み上げる。
自分でも眉がよって、眉と眉の間に縦じわができていくのがわかる。
…僕は今どんな顔をしているんだろう?…知りたくもない…。
背後に誰かの気配を感じた。
自分でも無意識に刀を抜いた。
一瞬の閃光。
うす闇の中に光が走る。
斬られた草が風に舞うのを見た。
黒メガネA「わ、若。私です。落ち着いて下さい。ど、どうなされたのです?」
へたり込んでいる黒メガネ。
先ほど車を運転していた黒メガネだった。
終太郎「…一瞬…ダンボールを捨てた者が戻ってきたのかと思った…
もしそうなら、本当に斬って捨ててやるがな…」
自分でも、冷たい声色だと思いつつ言い放つ。
黒メガネA「ダンボール?」
ダンボールのふたを、もう少し開けて中を見せる。
黒メガネA「…あぁ」
納得してうめき声のような答えをする黒メガネ。
終太郎「ところで何故お前がここにいる。先に帰れと言ったはずだが?」
黒メガネA「若の気が変わるかもしれないと思いまして、戻ってきたのですが…
このダンボールを置いた者も戻ってくればいいですね。」
その黒メガネの言葉に、またしても怒りを覚える。
黒メガネは純粋に、
戻ってくればいいという感想を述べただけだと、わかってはいた。
が、それでも怒りを覚える。
黒メガネではなく、ダンボールを捨てた者に。
今の感情を、コントロールできない自分に。
自分の感情の八つ当たりだとわかっている。
しかし…。
終太郎「たわけ!!!こんな草むらの中に、
人目につかない道から
外れたこんな草むらの奥に、
ダンボールを置くような者が戻ってくると思うのか?
餌のミルクを置いてやるでもなく、
この寒空にタオルを置いてやるでもなく
死ぬとわかって、
ただ放置するようなヤツが!!!」
黒メガネA「…申し訳ございません…失言でございました…」
黒メガネが静かに礼をする。
終太郎「………すまん…八つ当たりだ…お前には関係ない事なのに…」
黒メガネA「いいえ…
若、どうぞ車にお乗り下さい。この子猫もつれて帰りましょう。」
終太郎「そうだな…お前が戻ってきてくれて助かったよ。
ダンボールを抱えて面堂家まで歩いて帰れないからな。」
黒メガネA「…お役に立てて光栄に存じます。」
再び黒メガネは、静かに礼をした。
闇と同化しているような静けさで…。
それから黒メガネはダンボールの中の子猫を手にとって見た。
黒メガネA「この子はまだ小さいですね…小さすぎる…
まだ生まれて間もないでしょう。」
遠まわしに、
もしかしたら手遅れかもしれないという事を、さりげなく伝えている事がわかる。
黒メガネの手の中の子猫。
小さな身体が震えている。
終太郎「…帰ったらすぐに面堂家私設病院へ連れて行こう。」
面堂家私設病院。
面堂邸内は働いている人が数多くいる。
職種も数え切れないほどだ。
だから働く人々の為に、外界、
つまり面堂家の敷地外と同じように不便さがないように
生活に必要な施設も変わらずに存在する。
一つの町が丸ごと面堂邸内に、存在すると言ってもいい。
病院もその施設のひとつだ。
もちろん人間用以外の動物病院も存在する。
面堂邸内には僕のペットのタコ以外にも、
それぞれの生息地に環境を合わせた熱帯ドームや、
サバンナドームで飼われている動物がいる為だ。
震えている僕が拾った小さなもの。
ダンボールに入れたまま運ぼうと思ったが、やはりそれでは寒そうだ。
保温の為、ハンカチで包もうにも一匹ではともかく、数匹では包めない。
終太郎「ちょっと待て、学生服に包むから。」
僕は白い学生服の上着を脱いで子猫たちをのせて、
空気穴を作りつつ茶巾絞りのように、ていねいに包んだ。
黒メガネA「若…そこまで…」
終太郎「別に気にしなくていい。
それに服の替えなんて、家に帰ればいくらでもあるしな…」
子猫を包んだ服を抱えて車に戻る。
車に乗り込むと、すぐに黒メガネが発進させる。
窓の外の景色が流れる。
光が、時間が流れる。
車の中と外では時間の流れの感覚が違うような気がする。
窓一枚が、世界を隔てる。
何となく息苦しい。
窓を開けようとも考えるが、外の冷気が中に入って
服の中の子猫たちに悪影響があってはと思い返した。
ひざに乗せた服の包み。
暖かさが生きている事を実感させる。
ちょっとだけ包んだ服のすきまから、
固まっている子猫たちを見た。
子猫の手のひらが自分の人差し指よりも若干小さい。
思わずため息が出る。
バックミラー越しに、心配を和らげるように黒メガネが答えてくれた。
黒メガネA「…面堂邸は、もうすぐでございますよ。若…」
終太郎「…了子は笑うだろうな…
別に血統書付でもない子猫を連れて帰ったと知れば…」
黒メガネA「そんな事はないと思いますが…」
終太郎「了子には、知られぬようにしなくちゃな…」
会話をしている間にも、
キューベルワーゲンは住宅街を通り抜け、面堂邸へ近づいた。
巨大な門が近づいてくる。面堂家正門だ。
しかし邸内は広く、門をくぐったとしても家に着くまで、まだ10分以上はかかる。
車道を通り、木々の間をぬけて舞い落ちる枯葉の中、
警備している者達の間を
車はすり抜け、家の玄関に着いた。
車から出てると、車はすぐに走り去った。
入れ替わりに玄関で待っていた何人かの黒メガネが近づく。
その中の一人が話しかける。
黒メガネの中では、古参の部に入る黒メガネだ。
黒メガネ「お帰りなさいませ。何かございましたか?
いつもより、帰宅時間が遅いようですが…遅くなるようでしたら、ご連絡して頂きたく存じます。それに…」
終太郎「説教なんか聴きたくない。それに何だ?はっきり言え。」
黒メガネ「衛星軌道上の通信偵察衛星S108からの報告です。どうぞ。」
Sシリーズ108号…それは主に友引町高空度に展開している未公開の
面堂家が開発した超法規的衛星のひとつだ。
黒メガネからデジタル補正した写真を受け取る。
それには友引町へ向けて大気圏外から突破してくる隕石が写っていた。
黒メガネ「地球軌道外よりピンポイントで、諸星家へ約直径3メートルの隕石落下。」
質問する前から答えはわかってはいたが、一応確認する。
終太郎「…諸星家が壊滅したとでもいうのか?」
黒メガネ「いいえ。屋根の上でコタツネコが隕石を受け止めて全員無事です。被害0。」
終太郎「だろうな。その程度では。あの家は…というか、あのアホは。ラムさんは別として。
無事ならいい。ほおっておけ。時間が遅くなったのは…」
包んだ服を渡す。
玄関で待っていたその黒メガネが受け取る。
黒メガネ「…あぁ」
先ほど車を運転していた黒メガネと、同じような反応を見せた。
終太郎「すぐに、病院へ連れて行ってやってくれ。急げよ。後で僕も行く。」
黒メガネ「わかりました。すぐに。」
一礼した黒メガネ、包みを持って先に玄関に入り、姿を消す。
僕はその黒メガネの後姿を見て内心また、ため息をついた。
背後ではカサカサと音をたて、落ち葉が冷たい風と供に薄闇の中へ消えていった。
自分の家の部屋で着替えた後、学校にカバンを置いて来た事を伝え、夕食の席につく。
そこは美しい花が飾られ、豪華なシャンデリアからは透明な光があふれる、とても広い部屋だ。
そしてずらりと並んだ黒メガネ。
その中には、戻ってきたのか、先ほど車を運転していた黒メガネもいる。
中にはエプロンしている者や割烹着を着ている者もいるが、
ほとんどはいつもの黒のスーツにサングラス。
いつもなら別に気にもしないが、何となく重苦しい。
終太郎(気がかりな事が、あるせいか…。)
黒メガネA「どうなさいました?若。さっきからお食事が、あまり進まれていないようですが…」
黒メガネB「…やはり連れ帰ったものたちが、お気になりますか?」
終太郎「…差し出がましい詮索は、無用だ。」
黒メガネは心配して言ってくれていると、わかってはいるものの
つい、きつく言ってしまう。
反省はするが、その事を顔に出さないようにして、運ばれてくる食事を無理やり詰め込んだ。
終太郎(これからどうしよう…)
食事が済んだ後、何をしようか迷う。
本当は病院へ様子を見に行きたかった。
でも行っても自分は何も出来ない事が、わかってる…。
いつもならフォーシーズンドーム(面堂邸内にある四季を一年中再現した巨大ドーム)へ
遊びに行く時もある。
ドーム外の森を散策する時もある。
日本ではまだ未公開の映画を取り寄せて、先に見てしまう時もあるし、飛行機の操縦をする事もある。
迷った末、少し休んでから射撃場へ行く事にした。
それは僕のあまり変わらない日常。
食事時にいっしょにいた黒メガネが、ついて来て射撃場の準備をする。
僕は射撃BOXに入り、耳あてとゴーグルをつけて射的を待った。
黒メガネが合図して射的が動き出す。
狙いを定めて的を撃った。
終太郎「くそ…外した…」
撃っても何発か外してしまう。
いつもと違って何か調子が悪い。
イラついて、またしても的を外す。
キィンキィンっと撃ち終った薬きょうが落ちて金属的な音が射撃場に響く。
弾丸の入っているマガジンを、少し乱暴に入れ替える。
それを見ていた黒メガネが静かに話し合う。
黒メガネA「あぁ、また外した…」
黒メガネB「調子が悪いというか…集中していないというか…
先ほどの子猫たちが気になるなら、我慢なさらずに様子を見に行けばよろしいのに…」
黒メガネA「車の中で、了子様の反応を気にしていらしたので…
こ〜いう時は、素直じゃないですから…」
そんな事を話していると、終太郎が射撃BOXから出てきた。
これ以上は無意味と判断したらしい。
黒メガネA「若、お次はどうなされますか?」
黒メガネB「お疲れのようですね、少し早いですが、お休みになられます?」
終太郎「宿題があったから、それをやる。カバンの回収は出来ているだろうな。」
黒メガネA「もちろんでございます。」
僕は自分の家の勉強部屋へ行った。
護衛の黒メガネ達は一礼して部屋の外へ下がる。
この部屋は主に、勉強部屋に使っている。
中央に大きな机。
時々家庭教師がつくため、隅には別の少し小さめの机が置かれている。
周りは各教科ごと、そして経営学からコンピューター関連まで、
向こう側の壁がかすんで見えないほどに本棚が延々とつらなり、
そろえられる限りの専門書が並んでいる。
勉強部屋と言うより…図書室と言ってもいいだろう。
窓の下の台の上には、エミール・ガレの美しいガラスの花瓶が使われて、
花弁の大きな白い百合の花が生けられて、重たそうに花開いている。
大きな机に、カバンを置いてノートと教科書を広げる。
気が乗らない感じで、英語の宿題を進める。
“Who killed Cock Robin?”
"I," said the Sparrow, "With my bow and arrow, I killed Cock Robin."
“Who saw him die?”
"I," said the Fly,"With my little eye,I saw him die."
“Who caught his blood?”
"I," said the Fish,"With my litte ldish,I caught his blood."
“Who'll make his shroud?”
"I," said the Beetle,"With my thread and needle,I'll make his shroud."
“Who'll dig his grave?”
"I," said the Owl,"With my spade and trowel,I'll dig his grave."
“Who'll be the parson?”
"I," said the Rook,"With my little book.I'll be the parson."
“Who'll be the clerk?”
"I," said the Lark,"I'll say Amen in the dark;I'll be the clerk."
“Who'll be chief mourner?”
"I," said the Dove,"I mourn for my love;I'll be chief mourner."
“Who'll bear the torch?”
"I," said the Linnet,"I'll come in a minute,I'll bear the torch."
“Who'll sing his dirge?”
"I," said the thrush, "As I sing in the bush I'll sing his dirge."
“Who'll bear the pall?”
"We," said the Wren,"Both the cock and the hen;We'll bear the pall."
“Who'll carry his coffin?”
"I," said the Kite,"If it be in the night,I'll carry his coffin."
“Who'll toll the bell?”
"I," said the Bull,"Because I can pull,I'll toll the bell."
All the birds of the air Fell to sighing and sobbing
When they heard the bell toll
For poor Cock Robin.…
どれほど時間がたったのか、感覚がよくわからない。
時計を見ると2時間ほどの時間が過ぎていた。
このくらいの宿題量で、2時間弱もかかるなんて…どうかしてる。
ため息をついた。
目をつぶり、少しうつむいた。
ひたいにかかる髪がうっとおしい…
体全体に重力がかかる。
魂に重力がかかる。
気分が悪い。
吐き気がしそうだ。
…どこからか、鼻をくすぐる花の香り…白百合の香り…
目を向ける。
窓の下にぼんやりと白く浮かび上がる花。
いつか、誰かの詩の一節を思い出した。
終太郎「…百合の花は死者の花、死出の旅路の手向けの花…」
自分でもどうして、様子を見に行きたいのに、
何かしら理由付けをして見に行かないのか?
どうして後で見に行こうと決心したはずなのに、
見に行きたくない気持ちが湧き上がるのか?
うすうすはわかっていた。
この感情。
認めたくはない。
でも認めざるを得ない。
この感情は恐怖だ。
僕は…怖いのだ。
死を看取る(みとる)かもしれない事を。
「死は生まれる前に帰ること。ただそれだけの事。」
思い出せないが、誰かが言っていた。
あの時、誰かが…あの時に…。
部屋の外からノックする音が突然響く。
あまりに突然だったので体が飛び跳ねるほど驚いた。
ドアを開けると護衛として部屋の外にいた黒メガネが、慌てた様子で報告した。
終太郎「何事だ。騒々しい。」
黒メガネA「若、動物病院から連絡です。
若が連れ帰った子猫の1匹が…とても弱って…もう…」
終太郎「わかった…病院へ行こう…」
僕は連れ帰ったものたちの所へ急いだ。
病院へ行くと獣医の一人が近づいてきた。
子猫の担当医である。
獣医「若…申し訳ありません…」
終太郎「報告を。」
獣医「現在、子猫たちは保温のために保育器に入れて口にはチューブを入れて、
抗生物質にミルクを混ぜた物を与えていますが、そのうちの1匹はあまりにも小さくて
ミルクを吸う体力もなく、もうこれ以上は…おそらく朝まではもたないと…」
終太郎「…どうすればいい…
ここは最新の医療設備が整っている面堂家私設動物病院だぞ。
なのに何も出来ないのか、何も…」
心の中では、目の前の獣医が努力してくれた事がわかっていた。
これ以上、何も出来ないのがわかっていた。
限界があるのは、わかっている。
いくら面堂家であったとしても…。
獣医が無言で一番小さな子猫を、敷いてあるタオルごと保育器から出した。
僕にそっと静かに渡す。
獣医「保育器で機械的に暖めるよりも、
同じ心臓が動いている生き物のぬくもりの方がいいに決まってます…
最後まで抱いててあげて下さい。出来る事はもうそれだけです…」
僕は子猫を抱いてその場を離れた。
後ろから慌てて黒メガネがついて来ようとした。
終太郎「ついて来るな!」
僕は今の自分の顔を、見られるのが嫌だった。
一人で歩いて、一番近くのいくつかあるお気に入りの場所の一つへ行く。
森の中、小さな池のほとり。
側に大きな木が立っている。
何年生きているのか知らないが、幹の太さが大きくて抱えきれない。
木を中心として巨大な根っこの一部が地面に露出して、まるで葉脈のように走っている。
風が吹くたび、ざわざわと葉ずれのどこか心地よい音がして落ち着く。
僕は木の根の上に腰をおろした。
終太郎「外は少し寒いが保温用のタオルがあるし…それにここは静かだ。
病院内は暖かいが少し耳障りな機械音がしなくていい。」
子猫を抱いてそっと撫でた。
ここにくるのは何度目か。
そういえばペットの梅千代が死んだ時も、ここへ来た。
あの人がいなくなった時も…。
僕は幼くて、無力で、あの時はわからなかった。
理解できなかった。
あの人の具合がそんなに悪い事を知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
あの日、何もかも唐突に全てが始まり、面堂邸に大勢の客が訪れた。
客は全て黒い服で、あの時の風景は何もかも黒く、
話しかけても皆、口数少なく黒メガネが抱き上げて目線を上げてくれたが、
やっぱり目に映る風景は黒く、ただ黒くて…
僕は目に映る物、全てが黒にうずもれていくのが嫌だった。
終太郎「ねぇ、おばあさまはどうしたの?」
家人の誰に聞いても、答えてくれない。
客の何人かは「かわいそうに」とか「まだこんな小さい、お孫さんを残して」とか
意味不明な事を僕に言ってくる。
いつか、おばあさまは言っていた。
「終ちゃんはお兄ちゃんだから、妹にはやさしくしてね、お願いね。」
何故、いまさらそんな事を言うのだろう?
おばあさまは、やさしいから。
いつもやさしく頭を撫でてくれるから。
僕は、両親よりも、誰よりも一番おばあさまが大好き。
なのに…。なのに…。なのに…。
いつのまにか、抱いていた子猫はもう息をしていなかった。
あの時の、あの人と同じ…。
?「そんなにも感傷に打ちひしがれているお主を見るとはな…」
どれくらいの時間がたったのか…頭を持ち上げて声の方を見る。
木々の向こう側から、誰かがこちらを見ていた。
小さな影。シャリン…と小さな音がする。
終太郎「……貴様…」
そこにいたのは思いもかけない人物だった。
終太郎「何故、貴様がここにいる…この破壊坊主が…」
?「そんなに意外かのぅ…」
薄闇の中から現れたのはチェリーだった。
錫杖(しゃくじょう)を持ち、やっぱり何か食べている。
終太郎「…当たり前だ…面堂家の敷地内は治外法権国家も同じ事…不法侵入は許さん…」
チェリー「いつもの事ではないか…。それとも今の自分を見られるのは嫌か?」
終太郎「…何の事だ…」
チェリーの視線は自分を貫いていく刃のようだ。
目をそらす。
目をそらした後で後悔した。
チェリー「…しらばっくれるつもりならばそれも良い。しかし、わしは不法侵入者ではないぞ。」
終太郎「…不法侵入でなかったらなんなんだ?」
チェリーの意外な言葉で目を向けた。
チェリー「わしはただ、お呼ばれしただけじゃ。」
終太郎「呼ばれた?誰がお前を呼ぶと言うのだ?」
チェリー「お主の妹の了子じゃよ。」
チェリーの意外な答えに絶句する。
了子が僕への嫌がらせのために、呼び出したのだろうか?
こんな時に…タイミングが悪いと言えば悪すぎる。
なんかイライラしてくる…。
チェリーは何もかもお見通しと言う風な感じで立っているので、なおさらだ。
チェリー「そんなに警戒せんでも良いぞ。面堂了子からは今回、何も依頼されてはおらんからの。」
終太郎「では何の為に了子はお前を呼び出した?」
チェリー「わしは、面堂了子の要望で時々訪れて教師みたいな事をやっておる。薬物学のな。」
終太郎「薬物学だと?」
チェリー「以前、了子が諸星あたるに催眠術をかけて遊んでおったのに、
実際は催眠術などかかってはおらず、逆に諸星あたるに遊ばれておったという事があったであろう?」
思い出した。
以前、了子は自分が作った催眠術をかける「お香」を、諸星あたるで試して(ためして)いて、
心配した僕やラムさん、それにおまけのジャリテンやチェリーがこっそり諸星の後をつけたが、
了子のイタズラ好きな学友に捕まって、さらに僕達に催眠術をかけようとして、
「トビトカゲになって♪」などと了子に言われて怒り心頭したのを覚えている。
結局、諸星は了子の催眠術にかかったふりをしていて、了子たちと毎日遊んでいたので
それがわかった了子は、諸星に手玉に取られた事をものすごく、くやしがっていた。
チェリー「あの時よほど、あの諸星あたるに遊んでいるのではなく、
遊ばれていた事にくやしかったのであろうな。
わしが薬に対して知識が深いと知って師事を求めてきたので、
それから時々、いろいろと教える事になったのじゃよ。」
終太郎「あの諸星を制する事など、僕でさえ難しい事なのに、了子に出来ようはずもない。
しかし貴様が薬の知識に深いとは知らなかったな。」
チェリー「そうか?仏の教えのみならず、僧籍にその身を置く者…つまり高僧と呼ばれる者は
古来より医学、薬学、その他の法力による術も精通しておらねばならぬ。
それらの知識を生かして人を救うのだから。
わしは結構いろんな術や、薬を開発しておるぞ。
若返りの薬とか、無我の妙薬とか…童心を呼び覚ます薬とかも考えておる…
サクラもなにやら作っておる時があるな。」
終太郎「貴様が高僧?よくぬけぬけとそんな事が言える。」
チェリー「わしは別に高僧ではない。ただ僧籍に身を置く者だ。高僧であるなら…」
手に持っている何かの食べ物を見る。
チェリー「…高僧であるなら、こんな食べ物に欲を見いだす事もなかろうて。
…命を支える為に他の命をもらい受ける…こんな業(ごう)にとらわれる事もあるまいよ。」
僕はチェリーの言葉を聞いてある昔話を思い出していた。
自分の家の図書館で読んだ日本の古典文学。
本当は文学ではなく、逸話でもなく、それは実話なのかもしれない。
もしかしたら「その人物」は、チェリーのような法力を持っていたのかもしれない。
もしかしたら「その人物」は、チェリーのような薬物に詳しい知識を持っていたのかもしれない。
それは…一人の僧の物語。
一人の僧が厳しい修行を高野山で行っていた時、ついに孤独に耐えかねて
死者を蘇らせる(よみがえらせる)秘術にて、骨から人を作り出したという話。
信じてはいない。
信じてはいないが、もしできたら…。
もしできるなら…。
黙ってしまった僕に、目を向けるチェリー。
チェリー「どうしたのじゃ?了子のわしの師事をやめさせようと考えておるのなら、無駄じゃぞ。
依頼人はお主ではなく了子じゃからな。」
終太郎「…了子が何をしようが、かまうものか…そんな事はどうだっていい…
…お前、死者を蘇らせる事って出来ないか…」
チェリー「…何を考えておる。」
終太郎「聞いた事がある。ある一人の修行中の僧が、孤独に負けて骨から人を作った話…。」
チェリー「西行法師(さいぎょうほうし)の行った反魂(はんこん)の法の事を言っておるのか?」
終太郎「知っているのか?」
チェリー「僧籍に身を置く者は結構知っておる、ただのお話じゃ。」
終太郎「ただのお話だと?本当にそうか?もし知っているんなら、知識も法力もあるのなら、やって…」
チェリー「無理じゃ!!!」
僕の言葉をさえぎってチェリーが一喝する。
チェリー「方法を知っていたとしても、できる法力があったとしても、わしはやらぬ。
そんな希望を持つのは無意味じゃ。」
終太郎「どうして?!どうして、そんな希望さえ持っちゃいけない?
そんな力があるのなら、
使わなければ意味がないではないか?
それこそ力の持ち腐れだ。何故だ!!!」
持って振るうことができる力があるのなら、使う事に何故ためらう?
どうして有効に力を使ってはならないのか?
わからない。
僕は怒りに打ち震えた。
しかしチェリーは、僕の火のような怒りとは対照的に、水のように静かだった。
チェリー「西行法師が蘇がえられし、その者がどのような最後を迎えたか知っておるか?
いかに西行法師と言えども、蘇りし者を永遠に生前の姿に、留め置くなど不可能であったのだ。
生きていて欲しい。
側にいて欲しいと願う気持ちはわかる。
しかし長く時間を共に過ごす事も出来ずに再び死者となってしまう者が、
自分の死を2度も体験してしまうような事、死者本人が耐えられると思うのか?
お主自身も再びその者の死を、耐える事ができるのか?
わしならば耐え切れん。
自分のわがままで、死者の安らぎを乱すような行いは、
それこそ生きている者の傲慢(ごうまん)とは思わぬか?」
僕は何も言えなかった。
言う権利もない…。
チェリー「仏の教えの中には輪廻転生という言葉がある。
肉体は滅び、他者の命を繋ぎもて、そして魂は別の何かに生まれ変わる。
それは人であったり、人以外のものであったり…
そうでなければ、幽霊などと不確かな[何か]がこの世に、存在する事もなかろうよ。」
終太郎「…いつか、懐かしい人に出会えると言うのか?」
チェリー「いつか…それを人は来世とも言うな。」
チェリー自身は、肯定も否定もしなかった。
終太郎「…」
チェリー「…その、子猫も土へ返してやるがいい。他の命を生かす為に…」
そしてチェリーは、小さな声で読経を行い、僕はただ黙って土を掘って子猫を埋めた。
チェリー「…さて…供養も済んだ。わしは帰るとするか。」
終太郎「…今日の所は見逃してやるさ…了子への師事は、そのうち絶対やめさせてやる。」
チェリー「ふふん…お主にそれができるかのう…」
そうしてチェリーは、また薄闇の中に消えていった。
僕は、そんなふてぶてしい感じのチェリーを眺め…少し盛り上がった土の小山を眺め…
…それから手を池で洗ってから自分の家に戻った。
黒メガネが口数少なく出迎える。
黒メガネ「…お帰りなさいませ…冷えて来ましたね…大丈夫ですか…」
僕は答えた。
終太郎「…僕は大丈夫だ。お風呂に入って寝る。明日からは、いつもの日常に戻るだろう。」
そう、明日から、いつもの友引町でのドタバタが始まる。
いつもの変わらない僕の日常が。
…ずっとずっと、いつまでも…。
後日。
お昼休み、お弁当を食べていた僕に、諸星がちょっかいを出してきた。
うるさいヤツだ。
自分の弁当はすでに早弁して食べてしまってヒマなのか、
購買部で買ったパンを食べ、笑いながら話しかけてくる。
あたる「ん〜なんだ面堂?お前、顔とか手に傷がついてるな?
人一倍、顔を気にするヤツがどうした?
女の子にひっかかれた傷跡かな〜?」
僕は手を見て、顔のほっぺを押さえた。
気づかなかったが、確かにうっすら傷がついている。
でも僕は気にしない。
原因はわかっているから。
終太郎「…これは多分、遊んでいる時に、家に居るタマコがつけた傷だろう。そのうち直る。」
あたる「タマコ〜???」
あたるの絶叫に、ラムさんやしのぶさん、その他の男子一同クラスメートがやってくる。
ラム「タマコって誰だっちゃ?」
しのぶ「教えて面堂くん。」
あたる「い、い、家にいっしょに住んでるって、どんな女じゃああぁぁ???
あぁ〜かわいそうに、そのタマコって娘、
面堂なんかにだまされて、謝金の形(かた)として、
きっと無理やり家に連れてこられたんだぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!。」
諸星は意味なくオーバーに、床をのたうちまわる。
きっと諸星の頭の中では、昔の江戸時代の長屋でヤクザ風の黒メガネが数人
娘さんに、よりすがる親を足げりにしたり、僕が高笑いしているそんな風景を
想像しているのだろう。
まったくもって失礼なヤツだ。
終太郎「時代劇じゃあるまいし、失礼な事を言うな!諸星のアホ!」
しのぶ「じゃあ、どういう関係なの?」
ラム「じゃあ、どういう娘だっちゃ?」
ラムさんとしのぶさんが、興味津々に迫ってくる。
ラムさんは純粋なる興味で、しのぶさんは少し怒ったような感じで…。
そんなステレオバイリンガルのように、ダブルで聞かないで欲しい…。
あわてる僕に追い討ちをかける諸星。
あたる「やっぱり説明できない仲なんだああぁぁ〜!!!
しのぶ、そんな薄情な男はほっといて、今度俺とデートしよう♪」
ラム「何を、どさくさにまぎれて言ってるっちゃ〜!!!」
しのぶ「男なんてええぇぇぇ!!!」
ラムさんの電撃としのぶさんの机投げ攻撃で、窓ガラスは割れる。
諸星が電撃をよけて身代わりの男子生徒が黒焦げになる。
机がぶつかり、木の破片が飛び散る。
さらに割れた窓から他の男子生徒がぶっ飛んでいく。
教室は半壊状態に陥った。
そして諸星が僕の襟首をつかんで涙ながらに訴える。
あたる「面堂、お前なんて事を…」
終太郎「僕は何もしてない。え〜い、
根拠のない仮説を目にいっぱい涙しながら言うな〜!!!」
…昼休みが過ぎ、途中で騒ぎを抑えようと乱入した温泉マークはあっさりぶっ飛ばされ、
騒ぎが収まったのは、もう5時間目が半分過ぎようとした頃であった。
あたる「…なぁ…結局タマコって誰なんだ?」
ボロボロ状態の諸星…。
騒ぎに巻き込まれた僕も、
騒ぎを起こした当事者のラムさんや、しのぶさんも疲れたような顔をしている。
終太郎「タマコ達は、僕が拾った子猫たちの事だ。」
諸星が、心底驚いたという風な顔を僕に向ける。
あたる「…タマコ…達?…子猫って?…お前、猫なんかペットにしてるのか?
タコじゃないのか?」
しのぶ「…面堂くん…子猫全部にタマコって名前つけてるの?」
終太郎「…もうすぐ、子猫が欲しいと言ってる猫好きの黒メガネに渡す予定なのだが…
猫は、タマと言うんだろう?」
あたる「猫=タマか?」
終太郎「そうだ。」
あたる「子猫だから[コ]…つまり猫の子供(猫=タマ)+(子供=コ)か?」
終太郎「そうだ。」
あたる「猫=タマなんて誰が教えた。」
終太郎「黒メガネ。」
(やっぱりいいぃぃ。)
その瞬間、2年4組クラスメート全ては心の中で、同じツッコミを入れた。
諸星がため息をついて、僕の肩に片手を置いておもむろに、何だかな〜というポーズをとる。
あたる「間違ってはいない。間違ってはいないが、どーにかならんか?そのネーミングセンス?
タマコじゃなくって、コタマにすればよかったのに。」
終太郎「やかましい!」
しのぶ「う〜ん、どっちも微妙かしら…」
今度は、諸星と僕の不条理な戦いが始まった。
…そして放課後、諸星との戦いの後に温泉マークの説教や教室の掃除を済ませて
ラムさん、しのぶさん、おまけの諸星が面堂家にわざわざ子猫を見にやって来た。
しのぶ「きゃ〜カワイイ♪」
ラム「ふわふわしてるっちゃ〜♪」
あたる「俺は猫の手のひらが好きだな〜♪このピンクの肉球が好きだ。くすぐったら笑うかな?」
そんな様子を見ていると…本当に助けられて良かったと思う。
終太郎「ラムさん、しのぶさん、写真でも撮りましょうか?」
黒メガネが渡してくれたカメラ片手に、腰掛けて側で見ていた僕も立ち上がる。
こんな日常が続いていくのは、いい傾向だ。
僕は大満足だ。
しかし諸星と同様、僕も子猫の小さな手のひら…肉球が好きなんて…
内心、手のひらくすぐったら笑うかな〜なんて、以前に同じ事を考えていたという事実が
それだけちょっと不満だな〜と思いつつ、
僕は、みんなの輪に加わったのだった。
おわり